【回顧録】平成最後の開拓使①

1869年(明治2年)明治新政府は北海道開拓のため「開拓使」を設置、それまで蝦夷地と呼ばれた北の大地を「北海道」と改称しました。

機械も無い時代です。手つかずの森林や原野を切り平き、新しく畑や街を作るのはさぞかし大変だっただろうと思っていましたが…

技術の発達した現在でも、農業を志す研修生が お金も 時間も ましてや機械も何もない中で就農の準備をするのは大変なのです。

月~金曜日は農家で研修、土・日曜日は農学校で勉強、農閑期になりようやく日曜日に時間がとれるようになったところで、お借りした土地の開拓がスタートしました。

しかし…

もともと畑作には向いていなかったが故に、果樹栽培が広まった地域です。

クワを入れれば石が出るのは当たり前…

おまけに離農後しばらく放置されていたため、草ばかりでなくヒョロヒョロ小さな木もはえ始めており、カマとノコギリ、スコップで開墾するところからのスタートでした。

まさに、平成最後の開拓使でした。

草を刈り、木を切っては根を掘り出す。石に当たればスコップで取り除き、何とかイチゴを植えるための畑を確保した時には手はマメだらけでした。